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 取材掲載記事



『陶磁郎 31号』 (2002年)  発行:双葉社



(本文)  入澤美時−編集長  坂井基樹−副編集長  阿木香−文筆家

総評                      
入澤釉下彩でもない、上絵でもない、そして釉でもないという絵付けの全く別の概念をつくったのは望    月さんだったかもしれない。長石の濃い薄い、鉄の濃い薄いで絵付けとして意識してやったのは     初めてだと思う。それはなかなかの発見だと思うけれど。ただ、それに捕らわれるあまり、ほかのこ    とをしていないという印象がこの個展でも強かった。
坂井
長石釉で絵付けをする技法は、面白いと思うけれど、つくった通りの形や描いた通りの絵が出す    ぎている気がする。正確さが、よくない方向に行ったのではないでしょうか。
入澤
確かに牡丹文の大皿は美しいと思う。その美しさはともかく、会場に入って見たときに、大小の形    はあっても変化がない。やきものの多種多様性な姿が、この個展では感じられない。それが選ぶ    のに困った最大の理由ですね。
阿木
−個展会場では見せる側が見せるための演出力って必要で、たとえば、長石釉の代わりに鉄釉を    使うとか…。少なくともそのようなことをしない限り、個展としての楽しさがないですね。何をつくる     にも、土も同じ土、手法も同じでしょ。そこに意識がいってないってことですね。侮っているんじゃな    いかという感じさえするんですが…。
入澤
−土とは何かってことに興味がいかなければ、形、絵付けを追っかける以外になくなる。もしくは先    鋭的になっていく以外に方法はないのに、望月さんはどこにもいかない。
坂井
−私は陶芸家が土を材料店から取り寄せるだけでもいいと思いますが、仮に牡丹文の大皿しかつ    くらないにしても、長石が志野のような艶のある白いボディだったり、艶がもっとなかったりと、そこ    が変わるだけでより面白くなるのではないでしょうか。
入澤
−タラツとさせてみるとか、ザクツとさせてみるとか。それから、吸収するようなもの、上に浮くものと    か。土や釉の性格はいろいろあるから、同じことやってもその程度の変化だけでガラツと変わりま    すね。

要再考
入澤−三人で選んだのは、茶碗です。
阿木−高台というのは、やきものにとつて一つの見せ場でもあるのに、茶碗だけでなく、ぐい呑みも徳利    もすべて同じ。そこがまず、一番の欠点なんじゃないかと思います。すべて同じ削りなんです。
坂井−抹茶茶碗としての高台うんねぬんよりも、高台部分の主張が強すぎる。赤いからというよりは、全    体がカリカリすぎて固い印象を与えているんです。
入澤−これが飯茶碗か抹茶茶碗かということはどうでもいいんですが、望月さんが昔からつくられてき     たやきものをどう見てきたかってことがわからない。高台の削り方だけでなく、高台周りの削り方     も同じ。電動ロクロと鉄カンナでパーツと削って、抹茶茶碗一丁上がりみたいな。長石釉が掛かっ    てるから何とかなってるけれど
阿木−でも釉掛けも、そういうところがある。
入澤−土が何であるのか、釉が何であるのか、絵を描くつてのはどういうことなのか。やきものの絵とい    うののは絵画じゃないんだから。そういう基本に立ち返る必要があるんではないでしょうか。

逸品について
坂井−大きいものを逸品として選ぶのは、公募展のようで気が引けるところもあったんですが…。この     大皿にしたのは、望月さんの特徴的な技法が最もよくわかリやすく、しかもそのよさが出ているも    のだと思ったからです。
阿木−私もその大皿を選ぶか迷ったんですが、今回はあえて陶板を選びました。裏の処理もていねい     ですし、立てかけるってことの新しさですか。立てかけるってことを意識して、厚みとかを変えてま     したので、そういうインテリアとしての使い方、置き方の新しさが面白いかなと思いました。たとえ     ば、お雛様のときに屏風として飾ったら楽しいかもしれないですしね。
入澤−この大皿を選んだのは、望月さんがやきもので何を表現したいかという象徴的な作品だったから    です。最後に赤を差す、金を差すなりして何度か焼くわけだけど、この大皿は技法という面からも    象徴している。大皿は二枚あって、そのうちどちらを選ぶか悩みましたけれど、牡丹の花とか葉っ     ぱとかの全体のバランスからいって、こちらの大皿でしょう。

自分で買うなら
坂井−逸品と全く逆の、装飾の少ないものを選びました。これが絵ですという過剰さもなく、よく見たら富    士山だったというところが気に入りました。そして長石釉と緋色、後から差した朱という技法上の特    徴も揃っている。
阿木−私も同じょうに自分が買う場合、料理を盛りつけると牡丹文だとかなり邪魔になる部分があるん    ですが、これは盛りつけしても、富士山の白い部分がほとんどなので、絵が邪魔になるってことは    ないし。それが一番の理由ですね。望月さんの手法もこのなかにすべて盛り込まれているし。使う    という立場からみたら、これが一番ですね。
入澤−買って使うという面から考えると、使い手に邪魔にならない、料理に沿うような上絵になっている    ものとしてこの蛍袋文を選びました。それは、桔梗だとかそういう絵でもいいんです。蛍袋のピンク    のところに赤を差したり、葉っぱを鉄絵でやったりとしていますが、この作品は描きやすかったんじ    ゃないでしょうか。望月さんのよさが、スッと出ている気がします。

 この記事は、「逸品を探せ」という特集の中の「展覧会ミシュラン」という記事で、編集部と常時執筆者3人が、実際の展覧会にいって作品を観て、逸品と要再考の作品を選ぶという企画でした。
だいぶ、いろいろ言って頂いて、「なるほどなぁ・・・」と考えを整理できて、面白かったです。何といいますか、ある種典型的な『陶芸は・・・あるいは、土もの陶器はこうあるべきだ』というのが感じられるからです。何はともあれ、意見を言っていただけるのは、とてもありがたい事です。少しでも、私の陶芸の世界が進み、三人の方を説得する事のできる作品が出来るといいのですが。思うに、三人の方々の意見は、今現在の陶芸愛好家の意見を代弁しているように思えるからです。さぁ、制作、制作!





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