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取材掲載記事 


『目の眼 9月号』 (2002年)  発行:里文出版



(本文)

 目に鮮やかに飛び込む赤い牡丹。華やかではあるが、人を寄せ付けないタイプのものではない。むしろ自然界にあって、見る人を包み込むような優しさに満ちている。望月集さんが作る器には、そういう軟らかい華がある。
 望月さんが自然を語る時の生き生きとした顔が印象的だ。生活の中で自然を見つけるたび、常に驚き、その驚きを大切にしている人の顔だった。東京生まれ、東京育ち。なおさら自然への憧憬が大きいのかもしれない。器に描く花は細かい線や、微妙なグラデーションを駆使した花びらで完成される。絵を描くのが好きで写生はする。けれど器には、正確な姿形というより、自然から受けた自分の感動を描いているのだという。例えば牡丹。大胆な大きさで描かれるが、実際、牡丹の花は小さいもの。牡丹から受けた望月さんの気分が、花をこれだけの大きさにし、それに応じて器をこの大きさにさせている。二年前には自然を求め伊豆に住居を移し、二つ目の工房を作った。大学や中野の工房で教えるため、週に何度かは上京するが、伊豆に戻ると、ほっとするのだという。
 現在、望月さんは赤絵を中心に器を作っている。望月さんの器と赤との出会いは大学時代にまでさかのぼる。望月さんが在学当時、東京芸術大学には藤本能道、田村耕一、浅野陽といった錚々たる教授陣が揃っていた。これらの先生と陶芸を志したその瞬間に出会った影響は、作陶への姿勢から技術的なことまで広い範囲に渡っている。特に浅野氏はより直接的な刺激となつて望月さんの作陶に入って来た。伝統的な赤の絵具の使い方ではあるが、浅野陽の赤は、線描きではなく広い面積に及んでいる。そのマット感が印象的だった。望月さんも、赤絵と鉄絵とのコンビネーションを楽しむようになつていった。そして、この肌に合う軸薬の調合、土のブレンドと試行鋸誤を繰り返したのだ。
 浅野氏との出会いは、望月さんの「用の器」という意識をより強くさせた。美大を受験する時点で「美術」は充分意識していた。けれど「用途がらみの美」への意識はあまりなかったという。浅野陽の「料理と器」にこだわった仕事を見て、「人は日に三度、食事をする。同じ食べるでも、おいしく食べる方が幸せだな」という望月さんにとっては新しい食に対する考えに至ったのだ。特に贅沢な料理でなくても良い。その時、使う人の気分で。「極端な話ほかほか弁当だって変わるのですよ。」 盛り付けを変えるだけで、全然違う食生活になってしまうのだ。だから、器の用途は使う人に完全に任せている。抹茶茶碗でご飯を食べるも良し、パーティーで望月さんの大鉢にフルーツポンチを注いで使っているのを知った時は、感心してしまったほどだった。そういう自由な広がりが、食生活を豊かにさせてゆくのかもしれない。
 「今後、やってみたいことは?」の質問に、望月さんは「風景の描写」と答えてくれた。朝、昼、晩の雲の表情、波や水面といった海の表情、そういったものを取り入れたい、と。「伊豆の空は広くて表情が豊かなんですよ。」 望月さんの頭の中ではもうすでに、その器は出来ているのかもしれない。
 この雑誌は、古美術骨董専門の雑誌です。ですが、なぜか、今、現役の作家紹介のシリーズが、あります。縁があって、今回は、私を紹介していただきました。雑談のような話を良くここまで文にできるものだと感心しました。(まぁ、いつもの事ですが、ここまで言い切ると違うかなぁ・・・ということはあるのですが。)  いずれ、オールカラーの雑誌にしたいような事をおっしゃっていたので、「私の記事は、それからでいいですよ。」と言ったのですが・・・。(笑)



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